

吉田東洋 (よしだ とうよう)
1816(文化13)年 城下の帯屋町に生まれる
1847(弘化4)年 人事や法令改正、海防などの意見書をまとめ、「時事五箇条」として上程
1856(安政2)年 吾川郡長浜村に鶴田塾を開き、岩崎弥太郎らを育てる
1858(安政4)年 安政の大獄、山内容堂隠居
1861(文久元)年 武市瑞山が坂本龍馬・中岡慎太郎らの同志を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成(坂本龍馬は後に脱退)、尊王攘夷の思想を掲げ吉田東洋の改革路線と対立
1862(文久2)年 勤王党の那須信吾等3人によって暗殺される享年47歳


アメリカでは、オバマ候補が大統領選で「change」をキーワードに新大統領に就任し、アメリカ変革の象徴になっています。時は遡って146年前の1863年、土佐の国でも、戦乱の幕末から明治へ「change」する大きな出来事が起こりました。それが吉田東洋の暗殺です。この事件は、後の日本の変革に重大な影響を及ぼしたわけですが、暗殺の地が帯屋町だということを皆さんはご存知ですか?
吉田東洋は、幕末期の土佐藩における開明的な藩政改革指導者で、1853年に起こったペリー来航の対外的危機のなか、当時の藩主・山内豊信に起用され藩政改革の中心となりました。安政の大獄の進行に対応しながら佐幕開国の方針をとり、洋式海軍の創設を考案。また、格式制度を改革し、鶴田塾から岩崎弥太郎などを輩出するなど、人材教育にも力を入れていました。しかしその改革は、守旧派はもとより、尊皇攘夷を主張する武市瑞山一派の反対を受けることとなるのです。
そして1863年4月、現在の帯屋町商店街、旧ダイエー付近で、土佐勤王党の刺客である那須信吾ら3人の手によって暗殺…。吉田東洋というと、悪者、とりわけ「悪」のイメージを抱きがちですが、実は改革の礎を築き、色々な面で幕末の土佐に欠かせない人物だったということが分かります。
現在では、帯屋町のドラッグストアの前に立つ記念碑が事件のあったことを静かに伝えています。不躾に駐輪された自転車やバイクに埋もれたその姿には少し心が痛み、坂本龍馬に並ぶ(?)土佐の偉人が暗殺された場所への軽々しい駐輪は控えたいものだと感じました。
| 名称 | 吉田東洋先生記念之地 | フリガナ | ヨシダトウヨウセンセイキネンノチ |
| 住所 | 高知県高知市帯屋町2-1 |