スペシャルインタビュー

Interview 002 宮脇修

PROFILE

1928年 高知県幡多郡大方町(現:黒潮町)出身
1964年 大阪府守口市に「海洋堂」設立
1999年 海洋堂企画・制作のチョコエッグが全国的にヒット
2008年~ 四万十悪がきプロジェクトを企画・展開中。

  • 宮脇修
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創るモノは夜空にきらめく星の数ほど
無限にある
ガレージキット・フィギュアの制作会社として、世界屈指の造形技術を持つことでその名を知られる「海洋堂」。高知県黒潮町出身の現館長・宮脇修氏は、創設以来その奇想天外な発想と行動力で人々に新鮮な驚きと感動を与え続けるバイタリティーの持ち主。
―行動力と実現力

「ホラを吹く。自分にではなく、周りに聞こえるように。退路を断って前のめりに行動力を持って行けば、ホラが現実になる。それだけを生き甲斐に進んで来た感じやね。」80歳を迎えられた宮脇修氏はそう言って豪快に笑った。ガレージキット・フィギュアの制作会社として、世界屈指の造形技術を持つことでその名を知られる『海洋堂』の館長である。
少年期に中国で満州鉄道に入社、帰国後はニコヨン(※1)と呼ばれる日雇い労働をはじめ30以上もの仕事に携わってきた。「自分の行動の原点が『何にでも挑戦する』ということやから、それこそ広告代理店からバーテン見習いまで、何でも。」と語る宮脇氏は、業種・職種を問わず全ての経験を自分の肥やしにするという気持ちで打ち込んできた。
その大きな行動力は「ものづくり」「創造」という形で膨らみ、大阪府守口市で自ら経営していた貸本屋を改装して一坪半の模型店を開いた。1964年、『海洋堂』の始まりである。

※1 ニコヨン
1949年6月、東京都の失業対策事業として職業安定所が支払う日雇い労働者への定額日給を240円と定めた。そしてこの百円玉2枚と十円玉4枚という日当から、日雇い労働者のことをニコヨンと呼んだ。

―食玩ビジネスの確立

設立当初、彫刻家に師事したり美術系の学校に通うなどして専門技術を学んだスタッフはごく少数であったが、宮脇氏の情熱に触発された造形家が全国から集まり、ひたむきにものづくりに注力していった。
しかし版権物の制作をメインとしていた当時、海洋堂が新たな制作方法・技術を世に送り出すたびに大規模な商業展開が可能な大手企業に奪われ独占されてしまう、という事態が度々起こるようになる。そのため既存キャラクターや版権による利益に依存しない方向性を模索するようになった。
「お金よりも何よりも『モノ』が第一にあるから、時代やトレンドが変わっても海洋堂が進んで来られたんでしょう。何が商売になるかを客観的に見定めながら、そこに僕や造形家の情熱を注いで来ました。」その言葉どおり、海洋堂の誇るフィギュアには一体につき50~100人もの手が入り、そのあまりの精巧さに人々は夢中になった。また、恐竜や動物といった言語や文化を問わない世界共通のモノの制作へと進んでゆくことで、世界はさらに広がってゆく。

そしてひょんなことから卵型のチョコレートの中にフィギュアを入れるという発想が持ち上がった。「初めはそれほど凄いこととは思わなかったけど、中身が何か分からないという開けるときの楽しみと感動、コレクションしてもらえるだけの質と数を持ったフィギュアが受けたんですよね。」
この『チョコエッグ』はコンビニエンスストアでの流通を通して瞬く間に人気商品となり、中身のフィギュアをコレクションする人が激増した。
「子供よりも大人に人気が出てね。お菓子を売るための食玩が、食玩を手に入れるためのお菓子になって。海洋堂のフィギュアがたくさんの人に受け入れられたのが何よりも嬉しかった。」と宮脇氏の笑顔がこぼれる。まさに『おまけがお菓子を超えた』瞬間だ。『チョコエッグ』の成功で海洋堂はフィギュアという市場に拡大・変革の波を起こすと同時に、その名を世に知らしめることとなった。

―情熱が周りを動かす

そして今、宮脇氏の情熱は各界の著名人をも引き付けている。
「全国には高齢者が3,000万人います。若い人らの間で希薄になったと言われている人と人との繋がりを、僕らみたいな年寄りは強く持っているんです。そこでまず故郷である四万十町で『よたよた隊』というのを組み、老人一揆という旗を揚げて日本を変えようと動いています。」そう笑って話してくれた。現在は四万十町で『四万十悪ガキプロジェクト』なるものを立ち上げ、海洋堂で制作してきた様々なグッズ・フィギュアを展示するミュージアムの建設を計画中。さらに海洋堂の御神体を奉納しているうまのすけ神社から四万十川流域に、フィギュアやガレージキットなどの制作物を展示する『四万十ロード』の計画も着々と進行中である。
また、故郷の四万十町は自然が多いことから河童が住んでいそうな雰囲気だ、ということで『四万十川カッパ造形大賞2009』を開催することに。審査員には、あしたのジョーで知られるちばてつや氏、宮脇氏と15年来の付き合いになるという世界的美術作家の村上隆氏など、そうそうたるメンバーが名を連ねる。そして高知県などが主催するまんが甲子園の創始者・牧野圭一氏からも河童のイラストを書いた色紙が贈られた。
そんな宮脇氏の目標とする人物は、旭山動物園の小菅正夫氏なのだとか。「あの地域に年間300万人という観光客を呼び込めるようになったとは、凄いの一言。バイタリティが違う。」さらに真剣な表情で、「桂浜にも人を呼び込むための仕掛けはいくらでも思いつく。でも個々が別々のことをするのではなく、皆が一つになって進んでいかんと始まらん。点を線にして、皆で高知を盛り上げるんだという気持ちでいかんと旭山みたいな変化は起きんでしょうね。」と。高知県活性化のためにも、『四万十悪ガキプロジェクト』を始めとする宮脇氏の行動力は欠かすことが出来ない。

―常識に囚われない感覚と信念

座右の銘は『奇想天外』。常識に囚われず、客観的な目線からアイデアを生み出し、常に人々に驚きと感動を与えてきた宮脇氏らしい言葉だ。
また「造形や立体物を通して、日本人に色彩感覚を植え付けることができたのが、海洋堂の一つの功績でしょうね。」とも話してくれた。海外では一つひとつの街並みが芸術的であることが多く、人々は生活のなかで自然に色彩感覚を養えるが、日本ではそれが難しい。そのような中、海洋堂のフィギュアが与える新鮮な感動が、日本人の感覚を養う一つの要因になったという自信を持っている。
そして締めくくりは海洋堂の理念でもある、とても印象的な言葉だった。「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある。」この一言に、どこまでも突き進んでゆく宮脇氏の力強さが集約されているように感じた。

―最後に・・・

大変ご多忙な時期にもかかわらず、私どもの取材を快諾してくださった宮脇修氏には社員一同心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。取材中は宮脇氏の放つパワーに始終圧倒されていました。様々なアイデアを熱く語る姿から、年齢や今までの人生に関係なく、自分の持てる力を出し続けることの大切さを教えていただいた気がしました。宮脇氏の夢でもある四万十町の海洋堂ミュージアムは2011年に完成予定。オープンの折にはぜひ足を運んでみたいと思います。

―ブログ

今春4/1からブログ『奇想天外』を公開。日々の出来事などを中心に、宮脇氏に携わる人へ宛てた手紙のような温かみのある文章が特徴的。

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